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第9回「咢堂賞」を受賞
 このたび当センターは、(財)尾崎行雄記念財団より第9回「咢堂賞」の贈賞を受け、3月29日(火)、東京・千代田区の憲政記念館において贈賞式が行われ、金子由美子理事長が「世界の中の日本の役割 教育の原点・人間の原点」のテーマで記念講演を行った。
 「咢堂賞」は、“明治・大正・昭和にわたり日本の近代国家建設、民主政治の確立と世界平和の実現に生涯を捧げ、「憲政の父」と称された尾崎行雄の理念を基に”同記念財団により1996年に設立されたものである。「国の内外を問わず、民主主義の推進、軍縮、人権問題等に取り組み、民主政治の健全な発展や世界平和の実現に貢献している人や団体を顕彰し、支援を行う」という主旨のもとに、国内ではこれまで、加藤シズエ氏(第1回)、緒方貞子氏(第2回)他が受賞されている。
 今年1月、同財団より2004年度が「尾崎行雄没後50周年」の年にあたり、当センターへ贈賞をというお話があり、理事会はこれを「故野村理事長の功績への賞」として、謹んでお受けすることとした。
 同財団副会長の相馬雪香女史と野村理事長とは、グローバルな視点から日本のあり方を問い、平和への貢献を推進する同志として、長年交流を重ねて来た間柄でもある。
 今回の贈賞の理由として、同記念財団は「今日の社会情勢に鑑み、教育のあり方、その拠って立つ理念・価値観の探求・構築は喫緊の課題である。
 野村センターが推進する『東洋の自然観・人間観に立脚した基本理念とそれに基づく生涯を通じた学習および実践活動』は、単にこれまでの実績であるのみならず、将来的な社会貢献が期待される。
 また、そうした教育活動によって推進される『人間の資質の向上と豊かな文化の創造』は、内外社会の平和構築の礎となるものであり、平和かつ民主的な社会の構築のためにまずは教育によって人間の意識、行動を変えていくことが重要であるとした尾崎咢堂の考え方にも通じる」ことを挙げている。

 贈賞式当日は、相馬副会長のご挨拶、選考委員を代表して下河辺淳氏のご挨拶に続き、相馬副会長より贈賞理由が述べられ、賞状・副賞が授与された。
 講演後、同財団理事長の森山眞弓女史が挨拶され、引き続きレセプションが行われた。
 午後2時からの贈賞式は、尾崎行雄記念財団副会長の相馬雪香女史の開会挨拶で始まった。相馬女史は「『日本が世界の中で正しい位置を占めながら、世界に貢献できる人間を育てる』ことが、咢堂の願いでありましたので、野村生涯教育センターがこの賞をお受けくださったことを、たいへんありがたく思います。
 野村佳子先生は、いつも世界に向かって声を発していらっしゃいました。21世紀に日本がどうあるかが問われているだけに、野村センターには今後ますますご活躍いただきたいと思います」と語られた。
 次に、同財団常務理事の下河辺淳氏が、咢堂賞選考委員代表としてご挨拶に立たれ、「このたび第9回咢堂賞の選考にあたって、選考委員会は満場一致で野村センターへの贈賞を決定しました。長年にわたって熱心に教育ボランタリー活動を続けてこられた野村センターを表彰させていただくことは、私どもの財団にとってたいへん名誉なことであります」と述べられた。
 その後、当センター金子由美子理事長が壇上に招かれ、相馬副会長より賞状と副賞を手渡された。

 贈賞式に続いて午後2時半より記念講演会が開かれ、はじめに当センターが2002年にパリのユネスコ本部他で主催し、結果として創設者野村佳子理事長の最後の国際フォーラム、最後の基調講演となった「創立40周年記念 第8回生涯教育国際フォーラム」のビデオが上映された。
 そして3時より、当センター金子理事長による記念講演が始まった。
 金子理事長はまず「このたびは、尾崎咢堂翁没後50年にあたる年度に、私どもセンターがこの賞を受賞いたしますことを、まことに光栄に存じます」と述べ、「只今、第八回国際フォーラムのビデオをご覧いただきましたが、その翌年の11月29日、野村佳子理事長が逝去いたしました。
 野村理事長は、最後の基調講演を行い、次の準備となる後継を発表し、すべてを整えて永遠の旅に旅立ちました。
 この賞は、創設者野村佳子が願いとし、その願いが生んだ成果が示す実証に対して、ご理解とご支援をいただいたものと受けとめております」と語った。
 そして「私のような若輩の者がこのような席で講演させていただくことは、たいへん僣越でございますが、自らの存在の価値に気づけず思い悩んできた私が、野村生涯教育論を学習し、実践を通して自己の尊厳復活の実証を得た一人として、感謝をもって、野村佳子が願いとした心を、『世界の中の日本の役割 教育の原点・人間の原点』のテーマのもとにお話しさせていただきます」と述べ、講演に入った。
 金子理事長は「故野村理事長は常々『動機が目的を規定する』と申しておりました。その意味で、今日までの40数年の成果は、創設者野村理事長の動機の中にあるものですので、そこからお話ししたいと思います」として、1960年代初頭に、野村理事長がこの活動を出発させた国内的、国際的動機について詳らかに語った。
 野村理事長が、高度経済成長期の日本に多発し始めた青少年の不幸の問題に胸を痛め、そこから教育の抜本的問い直しを始め、教育の本質を質し、さらに足もとの青少年の問題から、その社会的背景、時代的背景に世界的人間性の喪失を見ていたことを語り、「40年以上も前から、そのような視点を持っていた野村理事長の先見に対し、『教育は百年の計』の言葉が示す通り、人間づくりは地道な根気のいる作業であるだけに、それがどれほど価値あることなのかを深く思うわけでございます」と述べた。
 そして「足もとからの動機が徐々に広がって国際的になっていく場合が多いと思いますが、野村理事長は最初から、国内的足もとのミクロの動機と、世界的マクロの動機を同時に持ちました」として、創設者の国際的動機に言及した。
 そして、そうした国内的、国際的動機のもとに「野村理事長は“東洋の自然観”を基盤に『野村生涯教育論』を構築した」と述べ、「しかし、論は生きた人間の上に実証されなければ無意味なわけで、野村理事長は論の体系化と同時に、常にその論の実践を通して実証を積み重ね、その上での世界への発信でした。現在もその反応は、残念ながら世界が痛み、行き詰まりを見せるほど、より大きなものになってきております」と語った。
 そして、「世界の中の日本の役割」について次のように語った。
「現代は、地球がボーダーレスを迎えた時代であると言えます。グローバルな文明の創造が今後の人類の課題として問われております。グローバル意識をしっかり持つことが急務となります。特に島国で生きてきた日本人にとってこれは大きな課題となりましょう。
 ではグローバル意識とは何か。それは一国の、あるいは一地域の思想や方向性に偏ったり、染まったりするものではない。それぞれの国、それぞれの民族が持つ固有の文化を集合した時、グローバル文明としての新しい文明の創造がなされるでしょう。
 しかし現実は、グローバル社会を生きながら、分断、分裂、対立、抗争、規範崩壊の様相を呈する人間社会です。そこに普遍的秩序を回復することを試みてきたのが野村理事長の歩みであるわけです。 
 国レベルのアイデンティティ喪失は、人間一人ひとりのアイデンティティ喪失をも意味します。『親がなければ子どもがいない』、この当たり前の自然の成り立ちにもかかわらず、意識は親を否定し、子を切り捨てる人間がいかに増えている社会か。
 しかし野村センターでは、野村生涯教育論を学ぶ中で、親子の絆を復活し、家庭が復活している実証を得ている人たちの例は枚挙に暇がありません。
 そして、人間の起こす問題はもとより、環境破壊、自然災害に至るまで、人間が生み出しているとも言えるのではないでしょうか。地球温暖化はもちろん、数年来、全世界的に起こっている地震、洪水等に見る自然からの脅威は、人類が自然からの恩恵に与って生かされているにもかかわらず、それを忘れ、自然を利用し、過剰に開発してきたことへの人間への警鐘ではないか。まさに人類が、普遍的秩序への覚醒を求められていると言えるのではないでしょうか」。
 「野村理事長は『グローバル化において大事な問題は、自己の、自国のアイデンティティの確立である』と述べています。では日本人のアイデンティティとは何か。
私は戦後10数年たって生まれました。中学に入り、すべてが数字で計られ始めた時代にあっても、その頃はまだ『日本人は、真面目、誠実、勤勉』ということをよく耳にしました。今あまりそのような言葉を聞かなくなっていることに危惧を覚えます。それは依然として日本人の中にあるが、それを価値としなくなっているのではないか。
 私自身、野村理事長の教育論を学び、時代の潮流の中で、つまらないもの、格好悪いものと見られがちな中にあって、自分の中にある誠実、真面目なる要素が、実は大事な価値なのだと受け止めることができ、自己肯定できるようになってきました。
 形にならない心を大事にする資質を持ちながら、形にならないものを価値と見なさない、形あるもの、数字に出るもの、早いものに、より価値をおく現代の風潮に、価値あるものが価値あるものとして受け止められなくなっている傾向に、危惧を持つのです。
 それは日本人自身が、日本を否定していることにつながりはしないか、日本人自身のアイデンティティ喪失につながりはしないか、その自己否定している大人の土壌に、その芽である子どもが健全に育つわけがないのではないか、そう思うのです。
 しかし私がそうであったように、周りにいる大人たちが、長く日本社会を形成してきた思想、道徳、伝統文化に目を開き、もちろん過去の罪過は真摯に受け止めた上で、その価値を伝えていく教育力によって、新たな日本の未来を拓く世代の可能性を導き出すことができるはずです」。
 「野村理事長は持論として、平和憲法があるから平和が守られるのではなく、平和を愛し、平和を信条としている民族だからこそ、平和憲法が作られると信ずる、と説いておりました。日本の平和主義は一朝一夕にできたものではない、日本の風土が育んだ古代からの先人たちが智慧と徳で営々と築いた、その長い歴史の上に醸成された民族性を象徴するものだ、と。
 この先人たちが営々と築いたものを、私たち戦争を経験していない世代がほとんどになる中、価値あるものを価値あるものと見ることができず、ただ捨て去っていくことがどれほど残念なことなのか。なぜ大国の一国の論理に乗らなければならないのか。自国にある素晴らしい伝統文化と、それを生み出した精神性に気づくことのないままに呑み込まれていこうとすることが、ほんとうに残念に思われるのです。
 イラク戦争、また他国の紛争に見るように、力の論理からは、報復の連鎖しか生まないことは火を見るより明らかです。それなのになぜ、その力の論理に日本は乗ろうとしているのか。それは日本にある徳や和の論理の価値を、日本自身が見失っているからではないか。今こそ、その価値を価値として自覚し、その発信をしていくことが、最も世界の平和へ貢献できることと思うのです。たとえそれが一時、臆病と見られても、それを貫く勇気こそが、積極的平和主義となるのではないでしょうか」。
 「尾崎咢堂先生の著書『わが遺言』の一節が目を惹きました。『個人間では、人を殺すことは重大犯罪であるが、国家と国家が戦争という形で、大量殺人をやっても、ただに犯罪でないのみならず、人殺しの名人に対し、国家は名誉の勲章を與えて、これを称讃する。個人間で他人のものを盗めば、泥棒として罰せられるが、国家の名において他国の領土を盗むことは国運の発展として祝福せられる。平生はかなり理智的な人でも、一たび国家のために≠ニいう魔法にかかると、すっかり理性を失って、国家のためなら善悪に問うところにあらずと喜び勇んで、実は国家の不為になるようなまねをする。これは日本人だけでなく、大体世界を通じての風潮であるようだ。』
『個人と個人の間の道徳は、一切のもめごとを腕力によらず、道理に基づく裁判にまかせる程度まで進んでいるのに、国と国との間のもめごとは、相変わらず腕力(戦争)で解決した野蛮時代から、一歩も進んでいない。人を殺すことは個人がやっても、国家が戦争の名によってやっても、同じように悪いことだとなぜ考えないのであろう。個人間のもめごとを裁判の判決にまかせられるものなら、国家と国家のもめごとも、戦争によらず裁判にかけて解決したらよさそうなものだ。それができないのはなぜだろう』と。
 このほんとうに当たり前の疑問がわかないことに大きな疑問を持つのです。しかし、たとえ疑問を感じたとしても、それを上回る解決が見出せないから、疑問を持つことさえも諦めているのかもしれません。
 日本人が、一国の平和を堅持したのみならず、分断されつつある世界に貢献できるものを持っていることを自覚できたら、自然界に生かされている人間としての、共通の普遍的規範の確立をもって、その矛盾を超えられることを思います。」
 最後に金子理事長は「故野村理事長の願いと遺志を継承し、戦争を知らない戦後を生きる世代の私自身が、自らの人間復活をもって貴財団との連携を深め、共に今後の人類、世界への貢献ができますよう、その精神を受け継いでまいりたいと存じます」と述べ、講演を終えた。

 講演終了後、同財団理事長の森山眞弓女史は、「お話を伺い、野村佳子先生の精神がしっかりと受け継がれていることを感じ、まことに頼もしく、うれしく思いました。さらに研鑽を重ねられ、日本のため、世界のためにご貢献くださることを期待しています」と挨拶された。
 その後のレセプションの席でも、相馬女史、下河辺氏と金子理事長の間で熱心な意見交換が続き、共に明るい未来を創造していくために、今後の連携、協力が約された。
 
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