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幼児教育部 点描
 幼児教育部では、毎月2日間にわたって持たれる全国講座の折には、講座に参加する組と、当番として子どもの面倒を見ながら相互教育をする組とに分かれる。
 Jさんは先月、講座に出る組だった。Jさんが当番に子どもを託して行こうとすると、1歳になるSちゃんがママと離れる淋しさで泣き出した。するとそれを見ていた今年度の修了生のRちゃんと次期修了生のS君が、Sちゃんを抱いている当番に「いっちゃんの絵を描いてあげたら泣き止むよ」と小声で言ってきた。
 “いっちゃん”というのはSちゃんの家で飼っている犬の名前で、2人で描こうとしたが、まだ道具が出ていなかったので、その間、泣いてるSちゃんを何とかしようと「そうだ、あのママのにおいのするやつをもってきたらいいよ!」と、いつもママがSちゃんにおっぱいをあげるときに使うケープを持ってきてあげようと考えた。当番が「そうだね、安心するよね」と言うと、手の届かない場所にあったバッグを新聞紙を丸めた棒で取り「Sちゃん、もってきたよ」と急いで渡したが、Sちゃんは「いらない」と言ってポイッとそれを床に落とした。するとS君は即座に「やっぱり、いっちゃんなんだね」と、2人で急いで絵を描き、「ジャジャジャーン! いっちゃんだよー」と見せた。するとSちゃんはすぐに泣き止んだのだった。それを見守っていた当番は、子どもたちの小さい子を思う健気な姿に感動した。
 母親たちは、そのときは「子どもは、自分がしてもらってきたことは人にもできるのだ」と考えたが、後日、何によって子どもたちがそのように変化したのかを皆で話し合った。そして『自分たちも先輩や仲間に関わってもらってきたこと、学んで収穫になったもの』を確認し合った。
 以前、子どもたちは泣いている仲間がいても知らんぷりだったり、外から来た子を容れなかったりすることも多々あった。子どもたちが見せる姿を、母親たちが自己教育の教材とするのが幼児教育部の基本なので、母親たちは自分たちの意識の中に他を拒否するものがないかを見つめていった。そして互いに相手に見えるもの、感じるものを出し合って相互教育を図るなかで、とかく自分と子どものことだけになりがちな自分たちの姿が見えてきていた。
 そこが大きく変わったのは、昨年の国際フォーラムの際、当初は皆が「受け入れ側なんていや。会場に入って基調講演を聞きたい」という意識だったところから、多くの関わりによって、自分たちが日頃どれほど学んでいるかを確認し、それを他の母親たちにも分けていきたいという意識に変わり、進んで受け入れ側に回れた。それがとても大きなことだった、と皆が口にした。
 そして実際に多くの外部の子どもたちを受け入れる経験を通して、自分たちの枠を広げることができたことを確認し合った。
 また足もとでも一番身近な家族との関係が変わってきていることを各人が確認した。S君の母親Tさんは、フォーラムの実行委員だったため、毎日忙しく、子どもを幼児教育部に任せて準備を進めていたが、メンバーに「子どものことが意識にない」「子どもを見ている側にどういう思いをかけているかわかってない」と事あるごとに言われたが、受け止められず、腹を立てたりもした。しかし夫からも「オレの気持ちや思いをわかってない。このままなら離婚だ!」と言われたことで、Tさんはようやく「人の思いがわからない自分なのだ」ということが受け止められ、その自分の意識の変化と、息子が泣いている子の立場になって考えられるように成長したことは繋がっているのだと確認できた。
 母親たちはだれもが、あらためて自分たちの意識の在り方が、子どもたちの育つ環境をつくっていることを学んだ。
 
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