FOCUS
年頭にあたって

理事長 金子 由美子
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 昨年という年を通って、新年にこうしてお会いできることは、当たり前のことではないのだとつくづく思います。正直なところ「おめでとう」とはなかなか言い難い、今の日本の状況を感じています。こんな気持ちで新年を迎えたのは生まれて初めてです。
 それは、昨年の3・11の収束が未だにできていない現実、とくに福島では、今も原発事故で苦しんでいる方たちが多くおられる。今後もどれほど時間が掛かっていくのか、そうした重い現実が、今の日本にはあるわけです。
 昨年の東日本大震災は「千年に一度」とも、「戦後最大の国難」とも言われる、そのような年でした。
 テレビの映像には呆然としましたし、私は4月に宮城に、5月に福島に行かせていただきましたが、これまで見たことのない光景に言葉を失いました。
 目に見える形での恐怖は、津波が人の生活を呑み込んでいったことに大きな衝撃を受けましたし、もう一方では目に見えない原発事故の恐ろしさを感じています。そして今もまだ、その目に見えない恐怖が続いています。
 この事態に、改めて21世紀という世紀を考えずにはいられない思いでいます。20世紀は「革命と戦争の世紀」と言われ、科学が目覚しい発展を遂げた世紀でした。18世紀から19世紀にかけてイギリスに起こった産業革命が、産業の変革とそれに伴う社会構造の変革をもたらした。そうした前々世紀からの流れの中で、20世紀の前半は二度の世界大戦を人類は経験し、その大戦の中で科学の進歩が甚大な被害をもたらしました。
 そして後半、特に60年代以降は、身近な生活の中に科学が浸透していきました。日本において1963年、最初の原子力発電所が稼動し、まさに科学の粋を集めたものの象徴として私たちの生活を便利に、快適にしました。しかも、1945年、原爆が唯一日本に投下されたという負の象徴と違い、平和利用であり、しかも絶対に安全という名の下に受け入れられていったわけです。
 そして約50年を経た2011年、私たちは原発が安全でないことを目の当たりにしています。
 日本が地震大国であることは、皆さんの認識にあると思いますが、世界有数の地震大国だということもご存知でしょうか。世界で発生する地震の10%から15%が日本で起こっているそうです。その上、マグニチュード6以上の巨大地震となると、世界の20%に達しているそうです。
 そして現在、世界に原発は約400基あると言われています。最大の保有国はアメリカで104基。次がフランスで59基。そして第3位が日本で54基あります。東日本大震災前後から続いている地震や余震、そしてあくまで予測としてですが巨大地震がこれからも起こり得る可能性を科学者の方たちは示唆しているのが現状です。
 そうした状況にある日本で、天災、そして原発事故を経験した私たちは、進むべき方向、選択すべき方向を、今の時代を生きる責任として改めて考えなければならないことを思います。自分たちの生存に関わることなのだから、人任せにしないで、一人ひとりが決めていかなければならないと思います。
 暮れにテレビで3・11以前と以後の被災地の映像を見たことを、仕事納めのときにもお話ししました。そこに住んでいらっしゃる方たちにとっては、歴然と違う毎日があるわけです。3・11以前と以後とでは、まったく違うわけです。人とも、物とも、そして自然との関係も、すべて以前と以後とでは違う。そうした生活を余儀なくされている方たちがこの日本に今いるわけです。
 私たちは、創設者が私たちに説き続けてくださったことを、ある意味、当たり前のこととして認識していたのではないかと改めて思うのです。それも、認識はしていても無自覚であって、どこかで「当たり前」と思っていたのではないか。
 人間は自然の一物であり、人的、物的、自然環境との繋がりの中に人間は生きていると創設者は教えてくださいました。われわれ人間は、生きている存在であると同時に、生かされている存在である。そして自然界の整然たる秩序、法則の下に、万物万象は絶えず生じたり滅したり、変化しながら流動を続けている。一刻も固定することなく、一物も孤立することなく、すべて関係しながら変化し、変化しながら関係している、と教えていただいてきました。
 自然界のすべてが一刻も止まらず、変化の中にあるなら、地球という天体も生きていて、地震も自然の在り様としては抗えない現実であるわけです。地球自体が生きているから、自然が動き、津波も起こり得るわけで、その津波が、私たちが築いた文明を呑み込んでいってしまったわけです。
 人がだれでも年老いていくのと同様に、人智が生んだ高度経済成長の象徴としての原発が教えるように、物も必ず老朽化していきます。これが自然の成り立ちであるわけです。形あるものは老朽化し、故障したりする可能性を持つものです。
 東北に起きたことが、自分の地域に起きたらと考えてみると、例えば家にあるテレビや冷蔵庫や車などが故障することは、私たちの想定の中にあると思います。そうしたものが古くなったり、壊れたりするように、高速道路にしても、密集するビルにしても、不具合が出たり、老朽化することを、私たちはあまりにも計算せずにいたのではないか。
高度経済成長期に次々と建設した林立するビル、その50年後を想定することなくこの半世紀を生きてこなかったでしょうか。そして、これほどのことがあってもなお、3・11以前に戻ろうという意識だとするならば、それはより大変な事態に自分たちを追い込む方向へと導いてしまわないか、と思います。
 しかし私は、科学文明を後戻りさせるということを言いたいのではありません。目に見える成果の上がるものを価値としてきた現代人が実は置き忘れてきた、目に見えない大事な本質価値に、今、本気で気づいていかなければならない、東北の地の大きな犠牲を払って、日本人として、現代人としてこの示唆を受け止めていかなければならないのではないか、ということを思うのです。
 何に価値を置くのか? 目に見える成果、効率というものに価値を置いてきた私たちですが、3・11以後、「絆」ということがさかんに言われています。「絆」とは、目に見えない繋がりです。
 何に価値を置く人間をつくっていくか?どんな時代を生きていくにしても、人間が時代をつくるわけです。だから人間教育が大事なわけですが、その人間教育に真に大事なものが欠落している。創設者はその危惧を50年も前から、物がまだまだ満たされてない高度経済成長の走りの頃から、ずっと言い続けてくださってきた。それがどんなに貴重なことだったか。その価値を思います。
 知識や技術を得ることや、ハウツーを学ぶことに重きが置かれて、大事なときに大事な判断ができない、マニュアル式の教育が依然として行われているわけです。
 原発事故の検証が徐々になされるのを見るにつけ、あるいは日ごろ若い人たちと接するなかで、(若い世代に限りませんが)、自分がどう感じ、どう判断し、どう対処するか、そういったことが大事なこととして教育されていない、引き出されていない、そういう現実を見ます。
 科学の粋を集めた素晴らしいエネルギーと謳われた原発。そうした高度な技術を造ったのは人間です。しかし、その技術を操りきることのできる人間の育成なしでは、今後、いくら技術開発をしても危険ばかりを生むのではないか、という大きな危惧があります。だから創設者は「人間教育はすべてに優先する」と言われたのだと思います。
 人間教育に大事な価値を取り戻していく。効率や成果に価値が置かれるなかで、つまらないものと見なされてきたものを改めて見直していくことの重大さを思います。
 創設者は『原論』の中で「忠恕」ということを言われました。これは江戸時代には一般的に用いられた日本語で、日本人の気質に最もあった徳目であったということです。「忠」は「まごころ」「真面目」「誠実」。「恕」は「思いやること」「許すこと」という意で、日本人はこれを言葉として忘れるほど身についた徳目であり、日本社会を支えた心であり、戦後50年、日本に過ちをなからしめたのもこの「忠恕」であったと、書かれています。
 それを日本人は自ら捨ててきたのではないかということを、ここ数年来、社会問題になっている食品の賞味期限の改竄、建築物の手抜き、そして最近ニュースになったインターネット評価サイトのやらせ℃膜藷凵A以前の日本では見られなかったような現象に感じざるを得ません。
 1960年代からの高度経済成長を支えてきたのは戦前生まれの方たちです。その世代は、物が豊かでない時代に育ってくる中で、その日本の大事な精神を持ちながらも、それをそれほどの価値として見ない傾向があったのではないか。これはあくまで私の分析ですが、スピード化していく時代にあって、戦前生まれの方たちもその流れの中でいつしかそれを価値として見なくなる傾向があったのではないか、と思うのです。
 私たちの世代はその世代に育てられました。親を見ていますから、その価値あるものを肌では感じているものの、しかし現代にあってはそれはさしたる価値ではない、現代のスピードにはついていけないと、捨て去る方向へ向かったように思います。
 そして今、私たちの子ども世代が、その価値を知らないまま未来を作ろうとしています。その子たちに私たちが渡していかなければならないことは何なのか?
 日本は唯一、原爆投下を受けた国であり、そしてまたもや、原発という20世紀の科学の象徴からのダメージを受けています。
 いったいなぜなのか?
 自然に恵まれた土地柄の日本。創設者は「その国の文化や民族性は、風土や気候や、温度、湿度、地理的条件に大きく与っている。日本という資源に恵まれない国が、美しい風土、温暖な気候、潤沢な陽光、雨、雲、霧に見る、四季折々の細やかな変化、四方を海に囲まれた島国。こうした要素の複合が古代から永い時間をかけて堆積したアイデンティティが日本の民族性であり、文化や歴史でありましょう」と述べています。
 そして、国際社会を生きる上で重要なこととして「自己や自国のアイデンティティの確立でありましょう」と言われ、「一つの思想や文化は、その成立にその国の風土、気候、気温、温度といったものが大きく与って、それらの要素の複合の集積が、そこに根づかせた根でありましょう。また、個々人の生い立った土地柄や人情といったものが思想を培養する働きをするのでしょう」と述べています。
 日本の風土が生んだ、徳目として身についた精神、その精神を日本人が失っていくとしたら、そこに日本人を育んできた土壌もまた、失われていくのではないかという危惧を持ちます。
 そして、自分たちがその精神を取り戻すことと同時に、それは人間にとっても、今後の世界にとっても、必要なものであるはずだから、日本人がグローバル化することが大事だと、創設者は教えてくださいました。
 先ほども申し上げたように、私は科学文明を後戻りさせると言っているのではありません。人間の手に負えないものを造ってしまった現代人は、責任として、何としてもその始末をつける方向を見出さなければならない。それが未来への責任であり、そのことを誠実に真摯にやっていこうとすること、それが最重要課題ではないか、ということを言いたいのです。
 そして今、目に見えない絆≠ニいう繋がりがどれほど大切かを実感したように、大事なものは目に見えない、心で感じ取るものです。
 現代人は、ともすれば現象として目に見える事実だけを真実として見てしまいますが、すべてのものが目に見えるものと、見えないものとの両面から成り立っているわけです。だから、形を成すものの奥にある見えない精神に焦点を当てていくことが今どれほど大切か。日本人の徳目として、身についていた誠実、真心といった精神を取り戻していく教育、人間の目に見えない本質価値に目覚めていく教育こそ、最優先事項にしていかなければならない。
 昨年中、被災地に皆さんの真心の義援金を届けさせていただきました。これは皆さんが各地域で自発して「被災地には行けないが、せめて自分たちにできることを」ということで拠出した真心の義援金ですので、やはり直接その思いを届けさせていただきたいという思いで、昨年中は11箇所に行かせていただき、今後も続けます。
 各地で市長や教育長にお会いして直接お渡しし「甚大な被害からすればほんとうに小額ですが、皆さんの真心として受け止めていただけたらありがたい」とお話しすると、一様に「そのお心がありがたいです」「その繋がりがうれしいです」と、思いを受け止めてくださるのです。そのことに私がまたとても感動したのです。その心の繋がりは、目に見えない、感じ取る心であるわけです。
 20世紀、科学文明の中で私たちは、あまりにも目に見えるものだけに価値を置いてきました。自然界にあるものは有限であるにもかかわらず、無限の宝庫の如くに開発してきました。そこに地球が悲鳴を上げているように思います。日本においても、世界においても、経済破綻を起こしつつある現実からいっても、もう3・11以前の方向では行き止まりになります。
 私たちは、目に見えないものの価値を教えていただいてきたのですから、そのことを信念にして、その輪をより広げていく。経済的に豊かという前提がなければ幸福でないという錯覚を持った人たちに「幸福感とは心と身体と環境のバランスの上に成り立つものである」ということを渡していく。「足るを知る」精神を育てていくことがどれほど幸福感に繋がるか、それを渡していく。その方向へ向かうことこそが、今、私たちに課せられた命題だと思います。
 私たちはここで学んで、経済価値優先から真に大事な価値に目覚めさせていただいてきました。それは現代という時代において、私たち一人ひとりが証明である、ということなのです。その自覚を持って私たちは、また新たな年をスタートさせたいと思います。
 今年は世界のリーダーが多く替わる年だと聞きます。世界が目に見えて変革していく年、きっと何か新しい芽が吹く年になると思いますが、その新しい芽がどの方向に芽を吹くのか。その芽に、大事なものが大事に扱われる世界になるよう願いたいし、一人ひとりが大事な価値を大事に思える人間に育つことで、必ずやそうした方向に向かうはずです。
 私たちは学んでいる立場から、その自覚と責任を持ちたいと思います。
原爆と原発事故を通して、科学発展の果てにある現実を私たち日本人は見ました。その日本人は、元々は自然と共に生かされている実感を持った民族であったはずです。
 その時代を誘導し得る精神の掘り起こしを通して、自然界に生かされていることへの認識と自覚を深め、それを一人でも多くの人たちと共有できるよう、今日までの50年間にいただいてきたものを噛み締めつつ、前に進んでいかなければならないと思います。
 また今年一年、共に学んでいきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
(1月10日、新年初顔合わせの挨拶から)
 
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