FOCUS
年頭にあたって

理事長 金子 由美子
 新しい年が明けて、こうして皆さんとお会いでき、新年の顔合わせができますこと、ほんとうにありがたいと思います。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
 年末から年始にかけて、私個人にも厳しい状況があったのですが、日本がまさに厳しい、大変な状況を通ってきたと思いますし、とても慌ただしい年の瀬だったと思います。
 暮れも押し迫った12月16日の総選挙で、大きく国政が変化しました。そしてさらに押し詰まった12月26日には、新内閣の組閣に至ったという年の瀬でした。
 多くの政党、多くの争点があるなかでの選挙でした。私たち庶民は、日本がどの方向に行こうとしているのかを不安感をもって見つめながら、年明けを迎えた人も少なくなかったのではないかと思います。
 今回の選挙は、3・11以降初めての選挙であったにもかかわらず、投票率が戦後最低であったということですね。でもその中には無関心というだけではなく、いま申し上げたように、あまりにも多い政党、あまりにも多い争点というなかで、決めかねたという人もいらしたのではないでしょうか。
 そうしたなかで国の方向性が動こうとしていることに強い危惧を覚えます。
 私たち庶民が、確たる主体性を持たずに迷い悩んでいる間に、どこか不本意な方向に社会が、日本が、流されていきはしないか。経済にしろ、外交にしろ、復興、エネルギー問題にしろ、さまざまある問題のどれもが21世紀を生きる現代人にとって遠い問題ではなく、私たちの足もとの生活に緊密に関係する問題であるわけです。
 私たちは今≠生きる上で、時代認識に立つことの重要性を学んできました。自分たちがどういう時代を生きているかの認識を持つことの重要さ、そしてその上に立って自己とは何かを知る、自己認識することの重要性を学んできました。
 私たちは往々にして、今≠過去とは切り離した、現在の視点からしか見ていません。
 ですから、歴史の繋がり、変遷の中での今≠見極めることが、とても大事になってくると思います。
 先日、息子の部屋を整理していたら、中学のときの教科書が出てきたのです。それを何とはなしにパラパラとめくっていたら、「昔の暮らしを調べよう」という項目があり、その昔≠ニいうところに「みんなで見つけた古い道具」と書いてあって、その古い道具とは、盥、洗濯板、釜、鉄瓶、算盤、湯たんぽ、火鉢と、私が子どもの時分には身近にあった物ばかりで、私はもう昔の人なのだなと改めて思ったのです。でも、それはたかだか50年ほど前の話なのですよね。
 そのように50年前とは生活が様変わりしている。私の親が私を育てた時代と、私の子育ての時代とは、背景があまりにも違うのだと改めて思いました。
 エネルギー問題にしても、原発は私が生まれた頃にはなかったわけです。しかし、電気がなくても盥と洗濯板と水と石鹸さえあれば洗濯はできる。電気がなくても困らない生活をしていたのだと改めて思います。
 1958年には、東京タワーが高度経済成長の象徴のように建てられました。そして1963年、日本において最初の原子力発電所が稼動を始めました。その50年後である近々、スカイツリーが東京タワーにとって代わって最も高くなり、「絶対に安全だ」と言われた原発の安全神話は2年前の大震災で脆くも崩れました。
 終戦以降、科学技術が生活に急速に浸透していきました。私は電化製品が多少出始めた時代に生まれていますが、盥や洗濯板、薪で沸かすお風呂で育ってきた私たちが、親となり、今や一家に数台のテレビ、いや、テレビさえ見ない、一人ひとりが携帯端末を持ち歩くような時代になろうとは、あの時代には思いもよりませんでした。
 この50年の間、科学技術が日進月歩し、あらゆる機器が2、3年経つと使い方がわからなくなるほどの変化に、私たちは目と心を奪われ続けてきたように思います。
 そして、形あるものは古くなり、壊れていくという、自然の摂理をすっかり忘れてしまっていたように思います。
 そのことへの警告が、一昨年の東日本大震災だったのではないでしょうか。
 昨年11月、私の父が88歳で他界いたしました。人間だれもが生老病死を通るのは避けられないと知ってはいました。しかし、いつも元気だった父に、死が現実に訪れるということは、どこかで遠い話のように思っていたのかも知れません。しかし、これが現実です。
 私たちは、便利になり過ぎ、不具合になれば新しいものへと切り替えられることに、慣れすぎてしまっていたのでしょうか。自然の厳然たる掟の下に生かされ、生きていることが、受け止め難くなっているのかも知れません。
 現象界に存在するものはすべてそうです。50年前に新しく素晴らしい高層建築として建てられたビルも、高速道路も、自然界にある以上、必ず老朽化が訪れます。
 父には、一昨年に生まれ、昨年の11月に1歳となったひ孫がいます。姉が父の看病に病院に通う傍ら、自分にとっての孫、父にとってのひ孫の成長を見ながら、「この子がご飯を食べられるようになったら、おじいちゃんはだんだん食べられなくなる。この子が歩けるようになったら、おじいちゃんは歩けなくなるんだよね…」と、そんなことを話しているのを聞いたとき、とてもつらい思いにはなりましたが、しかし人間は、生き物は、だれもが生まれた時から死に向かって生きている、そのことを、私は父のことを通して強く思いました。でも、死に向かって生きてはいるが、植物が枯れて種を残す如く、次の命に継承していく。姉の話を聞いて、それが実感になりました。
 この生命の連鎖の一環を、精一杯生きることが、どんなに価値あることかを、父が精一杯生きる姿を通して思いました。
 東日本大震災を通り、日本の経済が再び回復に向かうことは、私たちにとって大きなことだと思いますし、そのことが今回の選挙の一番の争点になっていたとも聞きます。それはほんとうに大事なことだと思います。
 しかし、もしその経済の回復が震災前に戻ることを期待しているとしたら、もし「足ルヲ知ル」の精神を置き忘れた経済回復を願っているのだとしたら、私たちはまた同じ轍を踏みはしないか、ということを危惧します。
 とくに私たちは地震大国である日本に住んでいるわけですから、あれほどの悲劇を生んだ東日本大震災から何を学ぶのか。私たちは、そこからマイナス要因しか受け取らなかったのでしょうか?
 多くの大切な生命を奪われ、外側にあるものはすべて流され、壊され、多くのものを失いました。しかし、大きすぎる犠牲を払って、私たちがそこから何を示唆されているのかを、受け止めるべきことを受け止めなければ、犠牲を犠牲のままにし、犠牲になった多くの方々の御霊に申し訳ないことになるのではないか、と思います。
 あの大震災の直後、東北の方たちが示してくださったのは、日本人の素晴らしさでした。海外のニュースは一様に、あの震災の最中に、収奪し合うでもなく、列を成して順番を待つ秩序立った姿に「日本人でなければあり得ない」という賞賛の声をあげました。
 そこに見えるものは、日本人の持つ忍耐、規律、思いやり、勤勉、協力といった、言わば創設者が教えてくださった日本人の「忠恕」の精神でした。
 外側にあるすべてのものを失った日本人に、決して失うことのない精神を見せてもらいました。
 昨年11月、「難民を助ける会」との交流で、トルコ・シリアの国境地域での支援活動の報告を聞かせていただいた折、「トルコでもシリアでも、人々はとても親日的で、自分が日本人でよかったと思います。また、日本は常に中立的だということで受け入れられ、活動しやすい」とお聞きして、日本人である私たちが無自覚のうちに持っている、思いやりや真面目さといったものが、世界にとって大きな貢献となることを自覚しないと、ほんとうに勿体ないことになると思いました。
 私たちは過去に例を見ない時代を生きています。あらゆる面で世界が繋がっています。たとえばヨーロッパの経済が日本に影響する。原発問題にしても、地震にしても、空気、海は繋がっているのだから影響し合っているわけです。
 1960年のチリ地震のときには、東北地方の三陸海岸は6メートルの津波を受け、142人の死者が出ました。チリで起こった地震が日本に影響を与えたという事実が示すように、ほんとうに世界は繋がり合い、影響し合っているのです。
 ですから、一国だけの安定や幸福はあり得ない時代である、という認識に立たなければいけないわけです。
 今、近隣諸国との間でさまざまな問題があります。私はこのことを考える上で大事なことは「今という点だけで捉えない」こと、そしてもうひとつは「国防と言うが、一国だけの平和があり得る時代かどうか」ということだと思います。
 創設者は、「日本が長い平和を維持してきた、その原理を世界の平和の原理として訴えていけばよい」と言われました。
 それが先に述べた、震災後に見られた有事の際でも秩序を失わない日本の精神性であり、それこそが、日本の国際社会への最大の貢献と成り得るものではないでしょうか。
 学校で教わった記憶はないのですが、最近、日本は世界に比して驚くべき歴史を持っていることを知りました。これは昨年の終講の折にもお話ししましたが、15世紀から16世紀にかけて、近代世界システムを形成して、その支配体制の下、西欧を中核とし、アジア、アフリカ、ラテンアメリカを辺境として、その構造の中で近代資本主義が発達していった時代がその当時あったわけです。
 この西欧の世界覇権情勢の中、日本がどういった歴史をたどったかというと、1543年にポルトガルの船が初めて日本に漂着し、鉄砲が伝来したということは学校で学びましたね。
 鉄砲伝来後、1年も経たぬうちにその製造技術を日本人が習得し、10年も経つと大量に生産し始めた。大量生産と言っても近代的な機械はないわけですから、すべて手仕事だったのでしょう。手仕事で大量生産を始めたわけです。
 そして16世紀後半には、日本は世界最大の鉄砲の生産使用国となっていたそうです。ここに日本の職人芸とも言うべき技術が、その当時から素晴らしいものがあったことが伺えます。
 「日本人は物真似ばかりで独創性がない」とよく言われますが、ただ単にコピーするのではなく、それをより良いものに改良しようとしてしまうところが、日本人の真骨頂だと言えるのではないか、ということです。
 そのような日本を見た、当時地球を二分割していたポルトガル、スペインも、日本の軍事力を見て、侵略をあきらめざるを得なかったそうです。
 しかし、驚くべきことはここからで、ヨーロッパ勢力を追い出し、朝鮮の役に失敗すると、日本は突如鎖国をし、近代世界システムから降りてしまいました。
 そして、その象徴たる銃を捨て、刀剣、つまり刀の世界に戻ってしまった。当時の徳川幕府が銃統制を行っただけでなく、さまざまな戦争予防の仕組みを作り上げ、250年間も戦争のない、人類史上、稀有な幸福な時代を実現させたわけです。
 その間、近代世界システムに参加した欧米諸国、そしてその被害となったアジア、アフリカ地域のたどった、戦争、飢饉、疫病、革命、収奪といった悲惨な歴史を思えば、日本の選択は、日本の精神性からなる選択であったのではないか。
 今の日本の平和も、その先人たちの英知によるものの上にあるのではないかと思うわけです。
 もちろん、それと同じことを踏襲することを言おうとしているわけではありません。私たちが私たちである、日本人としてのアイデンティティを実存の歴史から学んでいかないと、誤った選択になるのではないか、ということを思うわけです。
 21世紀のグローバル社会を生きる上で大事なことは、異質を統合していくことだと私たちは学びます。そして、異質の統合の大前提となる条件は、ひとつは「相違点を確認すること」、ひとつは「一致点を確認すること」だと学びます。
 私たち日本人は、どんな特長ある歴史を先祖の歩みの上に徳としていただき、またどんなマイナスを引き継いでいるのか。ルーツの検証を通して、自己の、自国の、アイデンティティを知ることが大事であることを思います。
 また、現代人は自我の主張が強くなったと言われます。他者と共に生き合っている社会、世界、地球なのに、自分のことしか考えられない自己中心的人間が増えています。
 共に生き合い、地球の資源を分かち合っていかなければならないのに、自己主張だけしていたら、自分の首を絞めることになるにもかかわらず、自分しか見えないから、他者が見えないから、争いにしかならない。
 あるいは、科学技術が発達し、マイペースで事を進めることができる時代にもなり、共に生きる感覚を持たないなかで、事を進めることだけが目的となり、他者を無視している自覚もなく、自我を肥大化させてしまう。向き合って話し合うこともせず、自己主張が強いから相容れずにぶつかることを恐れ、結局自分がやりたいことをやりたいようにやる、という現代人が増えているように思います。
 近隣諸国との差し迫った問題も、領土問題という視点だけで見るのではなく、それを扱う人間の問題として捉える。
 自我が肥大化していく人間を、どう自分自身の問題として捉え、どう相手を理解し、自分の意見も相手に理解してもらうようどう努力をするのか。
 社会の最小単位としての家庭での人間関係、そして学校、社会での人間関係、その調整から、人間教育、自己教育を図る。そういった自分からは、不調和になるような結末はもたらさないでしょう。
 国をあずかる方々の責任の大なるを思うとき、もし私たち庶民一人ひとりが、その方たちに大きな期待を持つのであれば、私たちは生活人として、足もとの人間関係の中での自分づくりが、延いては世界の動きにも影響することを肝に銘じて、この時代を生きる責任を全うする1年にしていきたいと思います。
 どうぞ皆さん、今年もよろしくお願いいたします。
(1月8日、新年初顔合わせの挨拶から)
 
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