FOCUS
年頭にあたって

理事長 金子 由美子
 
 あけましておめでとうございます。
 このお正月、東京は比較的穏やかな天候に恵まれていたとは思いますが、テレビや新聞などを見ますと、日本海側を中心にして雪が多かったですし、山での遭難者が多かったと聞くにつけ、自然の美しさと共に、その厳しさを思わざるを得ません。
 今年は、戦後70年を迎えました。そして今、私たちが関心を持つ持たないにかかわらず、日本はこれまでとは違った方向に動き始めているのが現実です。
 私たち日本人は過去70年間、一人も戦争で殺しも殺されもしなかった。そうした歴史を持ってきた。しかし、そのことを誇りだと思う人が少なくなってきている現実があるのだろうと思います。
 昨年、私たちは第11回生涯教育国際フォーラムを無事、成功裡に終わらせていただきました。今回のフォーラムの意義は、10回まで積み重ねてきたこれまでのフォーラムとは違った形の、言わば時代の方向を読み取り、その時代に相応しい形を模索する中で主催したフォーラムでした。
 それで今回は、社会の問題、世界の問題を日本の方たちと共有していきたいという願いのもとに初日を一般公開の形で持ち、2日目以降は、海外参加者の方たちが論をどう実践化、教育化しているのか知りたい、という要望に応えて「野村生涯教育集中セミナー」という形で持たせていただきました。
 そして初日のシンポジウムには、日本が今直面している課題として、中国はじめアジア諸国との関係、そして原発の問題、さらに憲法問題を取り上げ、3人のパネリストの方々にお話をしていただきました。そうした新しい企画に対して、参加者の感想文を読ませていただくと、自分が知らない側面、ニュースでは感じ取れないことを知ることができてよかった、といった感想が多く、私たちの方向性をまた確認できた思いがしました。
 「集中セミナー」では、パレスチナ支部のライラ・タカッシュさんが、憲法9条について何度か発言しました。昨年、あれほどの戦闘の中にあったパレスチナのガザを自分の故郷に持つライラさんが、9条について語る重さを、私は日本人としてあらためて思うのです。ライラさんにとって憲法第9条は「なぜそんな大事なものを、日本人は簡単に手放そうとするのか」と、そういうことを訴えているように思うのです。
 戦闘に苦しんできた地域の人たちにとって、平和主義というものがどれほど重いものか。フォーラム初日のシンポジウムでナスリーン・アジミさんもおっしゃってくださったように、平和憲法が象徴する日本の精神性というものを、創設者はずっとおっしゃってくださってきました。私たちはそれを大事に思う精神を培い、引き出していただいてきました。戦闘の地にある人にとって、そうしたものがどれほど大きなものかと、ライラさんの言葉から、あらためてもっと深く思わなければいけないと思いました。
 そして、原発の問題も、やはりシンポジウムで今田高俊先生が核のゴミの事実をお話しくださいましたが、原発に賛成か反対かの以前に、今の日本がどういう状況にあるのかを知ることの大事さを考えたとき、まだ事故の収束もできていないのに、廃棄物処分の方向も見えていないのに、なぜそれを他国に売ることができるのか?
 これは政治の問題として言っているのではないのです。自分の手に負えないものを人に売る、子どもにそんなことを教えるでしょうか? 「そんなことをしては駄目だ」と言うのが親でしょう。それを自分たちが住む国がしているということは、ほんとうに悲しむべきことだと思います。政治の問題としてではなく、人間として、悲しむべき“筋の通らなさ”の問題だと思います。
 また、インターネット社会の自覚、これも大きな課題だと思います。政治、経済、社会、すべてが今、コンピュータを使って動いている時代であるわけです。そういう動きも、私たちは知る努力をしていく必要があります。
 「イスラム国」の問題が、今また大きく言われています。こうした問題が起こると、イスラム教をよく知らないで、すべてよくないような見方をしてしまいがちですが、これはどの世界でも、どの国でも、過激であったりなかったり、良い人もいれば悪い人もいる、という意味合いにおいて見ていく、そのことが大事だと思います。そしてこれはイスラム過激派の話であるわけです。
 いわゆる「アラブの春」が2011年にありました。それはチュニジアが発端となってエジプト、リビアといったアラブ社会に拡がっていった。そのツールがインターネットだったわけです。それが「アラブの春」という形に繋がっていったわけです。それが今、民衆ががっかりする方向になっている。「イスラム国」の問題も、そこに繋がってあると言われています。そして不満を持つ若者たちが魅せられるようなPRがネット上に流されているわけです。
 昨日も、フランスで出版社が襲撃される事件が起きました。いきなり会議室に入っていって銃を撃ち、12人が死亡しました。まだ犯人が捕まっていないのではっきりしませんが、これもイスラム過激派のテロだと言われています。
 こうしたさまざまな問題が、元旦から毎日報道されてきているなかで、やはり私たちはそれを看過することはできません。
 先ほども申し上げましたが、私は政治的なことを言いたいのではないのです。社会への危惧を言いたいのです。
 昨年12月に総選挙がありました。今回「この年末の時期になぜ?」と言いたくなるような突然の選挙でしたが、結果は、前回の投票率も過去最低と言われる59.32%でしたが、今回もそれを下回る過去最低の52.66%でした。
 世の中では自民党圧勝と言っています。安倍首相は「これは自民党が支持されたのではなく、他の野党が支持されなかったのだ」と結果を真摯に受け止めているコメントをされていましたが、世間では自民党の圧勝と言われていると思います。
 しかし今回、比例区に限って見れば、有効投票数約5333万票のうち、自民党は33.1%。そして公明党は13.7%の得票だそうです。つまり与党の得票率は46.8%。得票数は約2497万票なんだそうです。でも、これを有権者数約1億425万人に対する得票率として見ると、自民党は16.9%、公明党は7%で、計24%、つまり、棄権した人も全部集めた有権者、投票権を持っている人の総数から言うと、4分の1未満の支持になるのだそうです。
 この事実を私たちがどう見るかという問題なのです。
 有権者の4分の1未満の支持しか受けていない政権が、本来国を預かる側を縛るべき憲法の改正や、国の方向性を変えるような閣議決定が、十分な議論もされない中でなされたし、なされようとしているのです。そのことを私たちがどう見るか? 私たちは庶民として自問したいと思うのです。
 そして、私たち一般庶民がもっとも問題にしなければならないのは、なぜこんなに投票率が低いのかという問題です。これは、とくに若い人たちにとって今の社会が、生きにくい、そして関心を持てないものになっている、ということではないか? 
 そして心配なのは、今全世界の脅威となっている「イスラム国」が象徴していることです。ここは莫大な資金源を持っているそうです。それで強力なPR力があると言われており、インターネットでそのPRを見ることができる。それは日本でも他の国でも同様で、私は見たことがないのでわかりませんが、報道によると非常に甘い言葉で、住居も提供する、報酬も出すと言って勧誘するそうです。潤沢な資金があるわけですから。そうした言葉で若者たちを惹きつけ、戦闘員にしているわけです。
 そうしたことを考えると、私たちはニュースからだけではなく、自分たちの目や耳で、そうは言ってもマスメディアを通じてですが、自分自身で判断していくことがとても大事だと思うのです。
 先日、テレビのニュースで日本人も含めた外国人戦闘員たちのインタビューをやっていましたが、現地に行きたい理由として、宗教上の理由という人ももちろんいるのですが、現実から逃げたいから、社会に居場所がないから、ということを言っている人たちがいました。
 今回のフランスでの事件も、やはり失業や格差の問題が背景にあると言われます。ですからこうした問題は、世界中で格差がますます拡がっている中で、モノカネ中心の価値観の中で、持たない人はますます追いやられ、自分の居場所が見いだせない、生きがいが見いだせない中で、現実逃避をしたい人が数多くいることの象徴なのだと思います。
 インタビューに答えていた日本人も「日本にいても仕事がない。自殺するしかない。同じ死ぬのだったらどこでもいいじゃないか」と言って、自分も行こうとしたと話していました。結果的にこの人は法律上の問題で渡航を差し止められましたが。こうした事態が社会にはあるのです。
 「イスラム国」ができた経緯も、ニュースなどで聞くところによれば、3年前にアメリカが9.11の報復の名目で首謀者と目されるウサマ・ビン・ラーディンを殺害した。そのビン・ラーディンを殺害したことから、そのまた報復ということで恨みの連鎖を生んだ、と言われています。
 そうだとすると、創設者が2001年の9.11同時多発テロの1カ月後に『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙上に掲載した意見広告の中で言われたことが、今まさにその通りになってしまっていると思うのです。その一部を読ませていただきます。

 「9月11日、アメリカ本土を襲った無差別同時多発テロは、多数の無辜の市民の命を奪ったという点で、絶対に許されざる行為です。
 犠牲となったアメリカ市民、同胞、多くの国の方々に対し、心から哀悼の意を表します。今、このテロリズムという憎むべき犯罪行為を根絶するべきであるという声が、アメリカを中心として世界各地で澎湃として湧き上がり、米国は軍事力を行使してテロリストとその拠点と、さらには彼らを庇い立てし、支援する国をも攻撃しようとする準備を着々と進め、日本もそれを全面的に支持し、後方支援等の協力を行う旨を申し出ています。
 言うまでもなく、テロは根絶されるべきであります。
 しかし、その根絶は右のような手段をもって本当に可能なのでしょうか。
 テロの首謀者を排除し、活動の拠点を除去し得たとしても、それは新たなるテロを生む可能性を根絶したことにはならないのではないでしょうか。
 なぜならテロリズムは歴史的、宗教的、文化的、政治経済的、社会的、さまざまな要因の総合作用のなかで生ずるのですが、人の心のなかに生まれる動機にこそ、その根を持つものであるからです。
 動機が目的や結果を規定するのです。その動機を根絶することなくして、テロのない社会をつくることは永遠に不可能でありましょう。
 まして報復の名の下の武力行使は、テロによる悲惨な人々の死を上回り、さらに多くの罪のない人々を殺戮し、その上より不幸な、悲惨な状況をつくることになり、悪の循環はとどまることなく殺戮は殺戮を繰り返す愚となります。
 これこそ人類の犯してきた愚かなる長い歴史であります。まさにこの根の深い人類の習性に終止符を打つことこそ、今可能な、私たちに課せられた至上命令であります。なぜならば、人の命は、何人も冒すことのできない尊厳の存在でありますから。
 愛する家族を、友人を殺された方々が、亡くされたことの大きな悼みや悲しみから、報復せずにはいられないのも、また人間が持つ心情であります。
 だからこそ、立ち止まり、私たち一人ひとりが何を考えなければならないのか、叡智を結集すべき時であると確信いたします」


 これは一部ですが、ほんとうに創設者が言われるように、この悪循環が、今こうして違った形をもって私たちに突きつけている現実があるのです。
 若い人たちは今、満足感を持っているのか? 家庭は幸せなのか? 私たちの子育てはどうなのか? 
 家庭、家族が人間関係の基礎単位であるはずです。子どもたちがまず家庭に居場所があると思えたら、社会から逃げようとする意思は持たない、たとえどんな勧誘があっても、そこへ逃げようという気持ちにはならないと思うのです。
 今の状況の悪い部分を根絶やしにするよりも、自分たちに欠けている何かを芽生えさせていくことしか道はないのではないかと思うのです。それがまさに私たちがここで価値として教えていただいてきたことであり、不満を抱える人間集団をつくらない方向へと私たちが向かっていることをあらためて思うわけです。政治にも、社会にも、期待することができない若者をつくっていることを、今回の選挙の投票率は物語っていると思うのです。
 救いにつながっていくと思わせる魅力的なPRをしているわけですが、もし相談することのできる友達や家族が近くにいたら、それはネット上の情報であって現実は生々しい残虐なものだよ、現実は映像とは違うんだよ、と言ってあげることもできる。
 私たちがこの社会をつくったのです。政治に向けたくなる気持ちは当然あると思いますが、政治家を選んだのも私たちであるわけです。
 しかし、有権者の半分は支持していないということは、見方を変えれば、その半分の側に覚醒を促すチャンスもあるということではないでしょうか? 学んでいる私たちは庶民として、その覚醒を促す価値を持っていると思うのです。私は今、皆さんお一人おひとりの発言を聞いて、自分自身と闘っていることをすごく感じました。そのそれぞれの自己との闘いを通して、社会に覚醒を促していかれると思うのです。
 私たちがつくった社会だという自覚を持って、私たちが学んできた生命の尊さ、その生命の尊さの実感を自分に持つことは、自分が尊いのだから人も尊いと思える「共に」の尊さの自覚なのです。そうしたことを訴え続けてきたのがこのセンターの歴史であり、その継続であったはずです。
 昨年のフォーラムは、次の段階のフォーラムとして大きな成果を得たと言えると思います。日本の皆さんと今の社会が抱える問題を共有し、海外からの皆さんとは、野村生涯教育論をいかに実生活の中で実践し、生活を教育化していくかを共有することができ、大きな成果を得たことは私たちの実感になったと思います。
 政府は「今年、あらゆる改革を大きく前進させる1年にしたい」と言っていますが、やはり私たちは庶民としての思いを、ほんとうに大切な価値を、共有したいという願いを持ちたいと思います。
 報道を見ていますと、孤独な高齢者の問題がクローズアップされるのをよく目にし、耳にしますが、そうした高齢者の方が異口同音におっしゃるのは「もうなるべく早く死にたい」ということです。かたや若い人たちは「日本にいても自殺しか考えられない」と言う。今の社会には、死にたいという気持ちが非常に蔓延しているのだなと思うのです。
 そうした現状を見ますと、できるとかできないとか、お金があるとかないとか、地位が高いとか低いとか、そうしたことばかりに価値が置かれる社会にあって、命があること、存在すること、それがどれほど尊いことか、そうした方向への意識の変革しか次を生まないのだということをあらためて思うのです。
 今年は世界にとって戦後70年にあたります。日本が戦後70年を迎えたと思いがちですが、第二次世界大戦が終結して70年ということは、全世界が戦後70年なのですよね。日本としては終戦、あるいは敗戦して70年。でも中国としては戦勝70年であるわけです。
 そして、今年は日韓が国交正常化して50年という節目だそうです。そうしたなか、今ほど日中韓が冷え切った関係になったことはないと言われています。
 しかし昨年のフォーラムのシンポジウムで、中国の修剛先生がお話ししてくださったことから「中国への見方を変えた」という方がとても多くいらっしゃいました。そうしたことを思うと、あらためて民間の役割がいかに大きいかを思います。
 私たちは今回の国際フォーラムを通して何を学んだのか? 私たちはこの教育論に基づいて、足もとの親子、夫婦の問題を通して自分の側からだけで、ものを見ていたところから、相手との関係で見ていく、自分の思いと向き合うと同時に、相手の思いを知っていく、その努力の中で調和を取り戻してきたはずです。それがどれほど大事な価値なのか、長年それを学んできたと思います。
 これはどんな関係にも言えることだからです。個々の人間同士もそうですが、国と国との関係でも、やはり自国の側からだけで見るのではなく、他国を理解しようとする、他国の立場に立って考える、そうしたことがいかに大事か。それがミクロの夫婦、親子の関係から見えてくるのだと思うのです。
 敵対する方向へ向かおうとする社会、世界にあって、私たちが足もとの親子、夫婦で敵対してきた関係から調和に向かう関係へと、原理に基づいて学び、実践することの価値。
 単に仲良くするというだけではなく、道理に基づいて自分を正していく、それを通して私たちは、自分たちの家庭が幸せになってきていることを実感しているはずです。そのことの自覚と責任をもって、社会へ伝えていく。
 戦争を経験した世代は、その悲惨さ、苦しさのゆえに伝えきれてこなかったことがあった。また日本が初めて敗戦を経験する中で過去を否定し、若い世代にものを正しく見ることを伝えきれてこなかった現実は無理からぬことです。しかしあらためてそのことを見据え、今の社会に無関心な世代を生み出している原因を探り、それを自分たちの中に見るにつけ、私たちはこの原理をもって、いただいてきたものを社会に渡していかなければと思います。
 敵対する自分の意識を、まずありのままに見て、それをありのままに出して、その自分と闘い、悩むことこそが、今の社会を変えていくことに通じていくと私は思っています。
 そうした民衆の意識の変革がどれほど大きいか。それは目には見えないけれども、しかしその見えないものに私たちは願いを持って、感謝を持って、社会に働きかけられるような自分たちになっていく。そうした1年にしていきたい。その願いをもって、新しい年を出発したいと思います。
 今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

(新年1月8日の仕事始めの挨拶から)
 
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